一般客席の聴くライブ







聴く側のベストライブ(ライブを通して見た印象) 

Part T(2003年3月上旬分)

Part U(2003年8月上旬分)
 
★インド古典が一番好きな人間が書いているので、
記事の量に多少は偏りがあるかもしれないことをお詫びいたします。

 なお詳しいプロフィールや感想集は別頁参照



Part T(2003年3月上旬分)

(五十音順)

井上憲司さん(インド古典音楽)


クレズマー・デユオ(東欧ユダヤ音楽)

(田中美好さん・堀口栄一(リーダー)さん)

ティンクナ(アンデス音楽)

(岡田浩安さん・福井岳朗さん(リーダー)・吉田ユウ子さん)

HARD TO FIND(ケルト音楽)

(扇柳徹さん・小松崎健さん(リーダー)・小松崎操さん・星直樹さん)

SOUBGEN(ワールドミュージック)

(杉中久夫さん(リーダー)・ゆう呼さあやさん)

浜田隆史さんラグタイム音楽)


N'DANA (アフリカ音楽)
(木村マサト(MASATO)さん・山北紀彦さん(リーダー))


 このHPの初アップロードは2003年3月上旬ですが、
その前まで何年もずーっと編集部は彼らのライブ通い、「追っかけ」を
していました。
 そしてどの方とも一般客席のおつき合いのみ。
 
 ライブのアンケートをメールや会場でやりとり
したりする以外は、
「森の休日社」編集部は彼らと個人的にほとんどお話したことないです。
 直接には、たまに会場で音楽について質問したり、
交通機関ない会場で他のお客さん達と一緒に車に便乗させて頂いた位です。

(だから外から見た普段のライブの印象ばかりです)

 総じて言えるのは、
 素晴らしい演奏をする人は必ず並外れた努力家だ、ということです。
 これを私に年月をかけて、見せてくださった彼らに心から敬意と感謝を捧げます。
 皆さん年々弾き込んで、練習を続けて、ますますその音楽を深め、広げていっています。
 
 その変化を目の当たりに見ることが出来たことは、自分にとって本当に幸福なことでした。
素晴らしかった、本当に感動したし、みなさんに沢山のことを教えられました。

 そもそも自由業である、音楽で生活するのは大変です。
 毎日の練習時間の確保、高い楽器の代金、メンテナンス、スタジオ等の費用、
移動の交通費......。
 
 同じアコースティック音楽では、クラシックとジャズも大変な練習量を必要とします。
ただクラシックはとてもステイタスが高く、
演奏家になるための教育機関もしっかりしているし、
海外で学ぶための奨学金制度も多く、
また生活のための卒業後音楽教育分野への就職の道も多い。
 
 ジャズも練習環境はクラシック程は恵まれていないけれど、
出演できるライブハウスの数もかなり多いし、
演奏家になるための教育も比較的受けやすいジャンルです。

 そして他の、メジャーで扱いやすい、ポピュラー音楽(デジタル音楽系がほとんど)も、
大して教育機関もないし、音楽教育機関への就職の道もほとんどないです。
 だからいろいろ苦労してデビューにこぎつける人たちがほとんどです。
 しかし、このジャンルは「当たれば豪邸が建つ」が可能な世界です。
芸能界は大変だけど、恵まれているのはファンの多さだと思います。
 成功したときの収入の多さは、他の追従を許しません。

 なお、当然ですがユニットは中で「リーダー」役の方や「押さえ」の方等、
それぞれ皆さんそのユニットによってそれぞれの役割を務めておられますよね。
どの役の方も気苦労はそれぞれにあるようです。やはり音楽以外の仕事と同じに、
 特に「リーダー」は音楽以外の責任や仕事があって、
管理職は大変だなぁ、と思うことがありました。(リーダー以外もいろいろ大変ですが)
 
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井上憲司さん

シタール奏者
 
 初めの頃は太っていましたが、
近年ぐ〜んと、やせられました。
 ハデな旋律楽器の演奏者ですが、ジミな性格の方のような気がします。
外見は地味派手な感じ。(どうでもいいか、そんなこと....)

 ワールドミュ−ジックでもいろいろ素晴らしい活動をされていますが、
北海道へはインド古典の演奏に来ています。
 これまでインド等国内外各地で公演し続けてきた素晴らしい演奏家ですが。
 
(数年前からは現地での演奏時インドの新聞各紙に
「kenji inoueは、ついにインドの著名なシタール奏者とひけをとらないまでになった」
と書かれるように)

 
 が、しかしなぜか北海道の舞台では、
「いじめに合う」ことも結構ある人だなぁ、という印象があります。
 インド古典という特殊なジャンルのせいもあり。
 
 そもそも北海道って、内地のメジャーなミュージシャン達に嫌がる人多い位
観客の反応が良くない土地だそうです。(偏見も多いと思いたいですね。
多分北海道人は本州人に比べて反応もぶっきらぼうに思われやすく、
だから誤解されやすいのかも)

 井上さんも別に何も悪いことしてないのに、時々突然....嫌な目にあうことがある。
 でもいつも嫌なことあっても、がんばって演奏を続け、
終了後もつとめてなごやかに、黙々と仕事して帰っていきますね。

 総じて地道にコツコツやる人、という印象。

(但し「いじめに合う」のは時々で、あとはみんな井上さんの来道を心待ちにする
 温かい井上さんの大ファンばかりです)

 本州で大きな舞台の時近くで見たら、
自分の爪を演奏のために3cm位伸ばしていた。
(ネイルアートと縁のない、むき出しの生爪)
なりふり構わず......。

 インド古典を世界に広めたビートルズのジョージ・ハリソン氏が亡くなった時、
しばらく舞台の上でも一人で黒い服を着続け喪に服していた。

 井上さんはインドのシタール奏者ニキル・ベナルジー氏を崇拝しているのですが、
古典を知ったのはジョージ・ハリソンがきっかけだったと前にどこかの
インタビューで話していたことがありました。

 普通そういうことは恥ずかしがってしない気がするのだけど、
井上さんは意地になってしていたのかもしれない。

 その時々の演奏によって「 官能・ 神聖・ 躍動・ 神秘 」と
昔から、さまざまな人に評されてきた井上さんの演奏ですが、

 近年さらに演奏がすごくなり、演奏の幅も広がり、
シタールの素晴らしさをいつも教えてくれます。
 
今、一般客席に分かる範囲でも10種類以上の演奏の仕方があります。
どれもぞれぞれに素晴らしいです。 

 編集部Aにとって井上さんの音楽は「救世主」だった。参考
 他に「突発性難聴」が彼の演奏で治癒した人もいます。
 が、別に薬用の楽曲でなく副産物というかたまたまそういう巡り合わせに。

 参照 
   ザンギートメーラ
   感想集
    ・インド古典音楽
    ・演奏の聴こえ方
    ・ワールドミュージック

   井上憲司HP

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クレズマー・デユオ

東欧ユダヤ音楽

 まだ二回しか聴いたことがないです。
 元々好きなジャンルの音楽でしたが、
彼らのことを全然知らなかった。

 だから初めて聴いた時あまりに「好みピッタリ」の演奏でびっくり。

 ネィティブのCDも一枚持っているのですが、
私はクレズマー・デュオの方が好きですね。

 この人たちは何者だろう?というどこか謎めいた雰囲気のある二人。

 東欧ユダヤに合った知的で哀し気な雰囲気に見える堀口さんと、
固くて生真面目な演奏中の表情とオフ笑顔が両方素敵な田中さん。
 きちんとした服装に、ずばぬけて上手い二人のライブは
「端正な演奏家」の印象を与えるのですが、
本人達はチンドン屋さんが好きだったり、得体の知れない部分が....。


田中美好さん

 アコーディオン奏者・ボーカル
 
 堀口さんのサックス・クラリネットに微妙にかんで応える素敵なアコーディオン。

 その声質、きれいだけどどこか陰鬱なハスキーボイスに、私はすぐゾッコン。
 しかも今は失われつつあるイディッシュ語を、日本人離れした発音で歌います。

堀口栄一さん
 
 サックス・クラリネット奏者

 彼のめちゃ上手いサックスとクラリネットを聴いていると
客席は「踊り狂いたくなってくる」のですね。
 でもそうしないでガマンして、席でじっとしているのが私は好き。

 童話「ハーメルンの笛吹き」の笛ってこういう音出したんだろうなぁ、
と生まれて初めて思った笛の音。

 三角山放送のパーソナリティ。

 

参照 
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ティンクナ

 アンデス音楽
  
(ティンクナ自体はフォルクローレだけでなく、
 オリジナル曲も多いユニットです)
 
 よく覚えてないのですが、私にとってアンデス音楽は、
昔の何かの良くない記憶と結びついているようで、
何となく私はこれを聴くのをさ程好まなかったのですが、
ティンクナのお陰でまた好きになれるようになりました。。

ティンクナHP

岡田浩安さん

 主にサンポーニャ奏者。
 
 初めて聴いた時から、あきれる程上手かった。
 もともと本州ですでに定評あった演奏家なので。
 
 最近とても驚いたのは、マイクのない会場で聴いた時。
 まさか、これ程いい音だと思わなかった。
いつもものすごく上手いのですが、更にマイクないと最高!!!

 「一見のんびり」として個性的な外見、味。センスのいい服装、
どの楽器演奏しても上手い楽器力のすごさ、
 ユニットのお兄さん役でメンバーに対する情も厚い人。
 
 生活等の事情で時々福井さんの演奏にムラがあると、ぶーたれて横目でニラみ、
でも福井さんが演奏いい時はにっこり本当に幸せそうで、見てると面白い。
 ティンクナの押さえ。
 彼は特にここ二年位、ティンクナの三人としての演奏のチームワークの素晴らしさを
深めることにも力をそそいでいたように思う。。
 昔から三人それぞれに良かったですが、ここ二年位で「ティンクナ」という
ユニットで活動する必然性をライブでファンに見せてくれました。
 元々ソロが素晴らしかったけど、最近はユニットでの活動も素晴らしい。

 最近少し違うジャンルの音楽とのライブを観ましたが、
懐深く相手の楽器のいい演奏を受けて、きっちり投げ返し、
それがまた曲全体としての音量も旋律も、バランス絶妙。
 場数を踏んできたミュージシャンの演奏を聴く楽しさを感じました。

 いつ聴いても超上手いですが、
ライブごとにいろいろな演奏の仕方にトライしている感じ。

 ケーナも素晴らしい。日本のケーナの名手は演奏を聴いた後時間が経つと
「技・テク」の部分の音が耳と印象に残ることが割と多いのですが、
若いながら岡田さんのすごい所は「ただ素朴に普通にまっすぐ吹いた時の音色がいい」こと。

 でも彼の笛はすごい「技・テク」も沢山持ってて、
今はそっちに走りまくってる感じアリ。

 ソロCD「ウタウ葦笛」もとてもいいです。
「手品師ワルテル」は笛の楽しさ満喫!!
ライブの演目の中では好物のおやつ、みたいな嬉しい曲。
 
 アンデス音楽とまた違うこのオリジナルCDは笛の音の良さ、深さ、
大自然と大都会の融合を感じます。

 ◆.......と、ここまで来てごく最近9月上旬彼のライブに行きました。
 11月予定の新しいCD「カゼイロ」発売にさきがけての。
 初めて演奏を聴いてから、彼はコツコツ腕を上げ続けた人ですが、
今回のは「彼に何が起こったのか」という位、質の転換がありました。
 
 会場中が岡田さんの笛の演奏に息をのみ、熱狂しました。すごい変化。
 でも、これはやはり今までの地味なコツコツの延長にあった気がします。

 官能的なサンポーニャ。口の当て方や息の割りふり、切れ目、曲想の設定、
こんなに丁寧で自由な岡田さんを今まで観たことなかった。
 
 ケ−ナもコントロ−ルがぐっと深くなり、
荒々しいテクの要る部分でも、音がひねずに出てくるし、
超丁寧だからテクがテクと聴こえない感じ。
 
 また「山の家」という静かな一曲の終章では、
かつて感じたことのない種類の振動が客席にも伝わってきました。
 つまり通常笛の大きな音の時の振動って、会場の空気を切りさくように響いて来るのですが、
今回のは笛の音に伴う影の静かな振動が、部屋中の空気全体に上手く伝わって、
一緒に微妙に共鳴しながら振動している感じ。

 岡田さんは今まで楽器で勝負していた感じがした。
もともと定評ある上手い演奏家でしたし、力で笛を制御して思うままに出来る人でした。

 でも今日は笛にそっと口を当てて一緒に演奏を始める感じだった。
 「笛は岡田さんのものになった」と、今日はじめて思った。
 演奏が優しくなった。やはり「愛」が深まったのでしょうか。うしし。
 

岡田浩安HP

◆後日追記(2005年1月)

 久しぶりにライブに行って来ました。
 今回は関西からスティール・パン奏者で音楽監督やCMで活躍の山村誠一のライブに
岡田さんと札幌で有名なギター・デュオ「池庄」の池田靖司さんが即興演奏で参加。
 このライブは民族楽器を使ってはいますが、民族音楽のライブでなく山村氏のリードの元に
行われた三人の違うジャンルのミュージシャンの即興・セッションでした。

 私の好きな分野である民族音楽でないので、音楽の感想はさしひかえ
三人の違う個性の演奏から、とりとめなく浮かんだことをちょっと書きます。

 リードは山村さんの現代音楽的な演奏は、未来的、現代彫刻等のモダンアートを思わせる
カンジでした。70年の大阪の万国博覧会の未来都市の建築物を思い出した程。
コーティングされた、人間・生活感のない昇華された清々しいオブジェの数々にルーツがあるような。

 濃い人間的な音の出る民族楽器を使いながら、自分という人間の体温をオフにしていくような
山村さんの演奏には、どこか「あまんじゃくな気概」をちょっとカンジて楽しかったです。
 澄んだ水のような空気・クリーンな未来の空間。

 フォルクローレ中心の岡田さんも、アコースティックインストゥルメンタル・ギターの
池田さんも又全然違う個性なのですが、とても上手い方たちなので
練習もほとんどない即興だったと思えない程のハマった演奏となりました。

 ラテン・ジャズというのでしょうか、岡田さんはこっちに飛んじゃうことも出来るんだなぁと
又驚かされました。
 この三人のライブ、現代彫刻の美術館で聴いたらすごくぴったりするような気がしました。
子供たちも呼んで、何かしたら楽しいのに。

 ※この日三人の方の共通のご友人でノコギリ演奏家のKapoという女性が最後の方に
演奏に加わりました。Kiccorie’sというユニットで活躍中。
のこぎりはイメージと違い「のびのびした、きれいな音」がしました。
 Kapoさんは表情とか雰囲気から福を感じる楽しい方です。この方だから
ノコギリはこんなかわいい楽器になってくれたのだと思いました。
(Kapoさんも手をケガしたりすることは、あるそうですので
子供さんは絶対に真似しないでほしいと思います。)

 私は音楽が全然出来ません。聴くのは大好きですが自分では「からきし」ダメ。(はは)
だから思うのですが決まった曲を演奏する普通のライブと違い、
「違うジャンルの音楽家同士」の即興演奏のライブは、
少しでも音楽をかじったことのある人の方が、更に良さが分かると思いました。

 面識のほとんどない人と、いきなりその日その場で即興演奏するというオソロシイことは
相当音楽能力が高くないと出来ないことです。

 ただ楽器を全然したことのない聴き手にはその部分が分からないので、
音楽をする人達だと、即興は普通のライブと又違った素晴らしい勉強・楽しみになるのだと思います。
(今日の演奏は素人の私のような人が聴いても、即興と思えない位完成度は高かったですが)

 多分私が「音楽が少しでも出来る人」だったら、即興を一杯聴いて勉強するといいかもなぁ、
と思いました。(でも私は音楽できないの。はは)
 即興は素晴らしい演奏会であり、音楽家同士の創造、実験の場、企画会議みたいな側面も
あるように思いました。

 ★ちなみに岡田さんは又人間的にもアーティストとしても熟成度が進んだカンジがしました。
音に当たり前のように陰影をつけたりして、テクニックも超磨きがかかりましたが
内容的にもさらに、さらに。
 濃い、匂いのいいお酒になっていくように。

 岡田さんは昔から、定評ある超上手い演奏家でした。
ただ昔は時々ライブで彼の演奏に内心「苦情を言いたくなる」場面がありました。
ごくたまに。

 ふふ、それは「やんちゃ君」というか「コーナーすれすれでカーブを切る車の運転」みたい
危ない演奏にトライするということです。博打のような。
(テクニシャンの性(さが)というのでしょうか)
そしてたまに、崖下にちょびっと落ちてくれた。
 笛は音が派手だから、目立つのですね。
(それでもプロとして十二分に素晴らしい、鑑賞に耐える上手い演奏ではありましたが)

 人間の耳が聴いて不快にならない、すれすれの線を探るかのように。
これ以上だと「不快な音」というぎりぎりにあえて突っ込むのです。
 全曲その吹き方という訳でなく、一回に何曲かだけ。

 私は普段の岡田さんの普通に吹いた、フォルクローレの演奏のファンなので、
その「挑戦」を止めてほしいと、いつも思っていた。
”耳が痛くなる!!”と。
 
 でも今になって思うのは、あの「突っ込み」が今の岡田さんをつくったのだと思った。
 今の岡田さんの演奏は「突っ込む」訳でなく、オーソドックスな演奏です。
 ただその深みとか熟成度によって、岡田さんのアートの世界が確立されつつある。

 この人は多分、この人なりにすごいアーティストになっていくのだなぁ、と思います。
 客席にとっては「すごい」とかはどうでもいいことなのですが、この頃岡田さんの
ライブに行くと「アート」ってどういうことなんだろう、と柄にもなく考えたりする時があります。

 ★岡田さんをはじめ、素晴らしい演奏家の舞台を観る(聴く・鑑賞する)と思うのは、
「やはり私はアートを通したその人」を感じたいのだなぁ、と思います。
「すべてを含めたその人」を、舞台の上で観たいんだなぁ、と。

(オフの部分の皆さんは個人差はあれど、それぞれに普通の人間だと思いますが)

 ★最近大きなジャンルになりつつある、
特殊な目的に作られた、治療用等の音楽がありますね。
ただし、通常のアートの音楽でたまたま、結果として「癒し等」になるのもありますが、
ここでは除外。

「癒しの音楽」や「瞑想するための音楽」は、確かに目的をきちんと達してくれる
素晴らしい音楽だと思います。同時にアートとしても素晴らしい作品も沢山ある。

 ただ素人の聴き手が思うことは、
そういう音楽はただ「聴いてる自分が主役になるような」音楽だということ。
 聴く人のストレスを解消したり癒したり、瞑想しやすくなるように
つくられた機能的な優れた「目的を達するための音楽」。

 こういう「目的アリ系音楽」はとても良いものばかりだし、
私も時々お世話になって助かっている音楽ではあります。
 また「目的音楽」でなく普通のアーティストの音楽でも、
何か「アーティストが何かを表現するアート」としての音楽という以上に
「何か聴き手に対して意図・作為・操作」を感じる音楽がまれにありますね。

 「自分の表現としてのアート」がたまたま聴き手に共感や影響を与える場合と違って、
これは結構聴き手に「侵入してきたなぁ」という感じを与えることがあります。

「余計なお世話」という訳でではないですし、その侵入が良い結果をもたらす音楽もありますが、
基本的に私は、「素晴らしいけど苦手」だと思う。
 本当に神経の休まるというものとは、微妙に違う治療用のものだと。
 
 確かに癒してくれたり瞑想させてくれたりする「目的音楽」は役に立つのですが、
病気の時だけ飲む医薬品(ないと困る絶対必要なものですが)と似ていると思う。
 
 病気を治すだけでなく、「病んだ根源」を癒してくれるのは、
私に合わせて調合された薬(これがないと病気自体は直らないので、とても感謝しています)でなく
「他者の存在」の響きのようなものの気がします。
その「他者の存在」が病んでいても、健康でも、とにかく自分と違う存在。
 それは自分の中に入ってこようとしなくても、その他者の存在の響きを聴くことで逆に自分も
生き返るし、自分になっていけるような気がする。
そこにいる凝縮された他者の存在感に、自然に自分が反応し始める。

私も私になっていく、というのでしょうか。

(他者の存在は、それが悪意等でなく、良き思いへ何かしら向かっていくようなものであれば
何でもいいですよね。
 又「他者」とゆってもやはり相性がありますので、自分と似てても違ってても相性の
良いものだったら何でもいい)

 「治療者と患者」という絶対必要ながら、特殊な関係でなく、
自然な普通の人間関係が一番、というのでしょうか。

 私にとってアートってそういうことかなぁ、と思ったりする。(まだ良く分かってないけど)
 特に舞台に何かを鑑賞しに行くということは。
(以上は、アートを「癒し」という点でだけから考えたことです)

 アートによっては、好みでないのもあるしそうでないのもあって、
こればっかりは人それぞれでだから、それぞれ又別の考えもあるかもしれない、
私の個人的な感想でした。 

 そして岡田さんはまだ若いのに、この「他者の存在」と「侵入」のラインを絶妙に
見極めつつあるような演奏をしてくれます。

 これからも一生聴いていきたいと思うアーティストですね。
(他の皆さんについてもそうですね。一生後日追記っていう「追っかけ」も一生)

★岡田さんはお師匠筋に当たるテレビ等の仕事でも有名なケーナ奏者の橋本仁氏と
「MAYA」というフォルクローレユニットを組んでいます。

  又アルバ奏者の志賀昭裕さんやHard to findの星直樹さん、
ボーカリストの吉田ユウ子さん等いろいろな素晴らしい演奏家達とライブをしています。
 最近は北海道在住の柳瀬美保(booxbox)さん(海外でも活躍の画家で、作家で音楽家)の
CD「ふたつの小鳥」をプロデュースも。


福井岳郎さん

 主にチャランゴ奏者(教室もやってます)・ボーカル

 ここ数年の間のチャンランゴを始めとする楽器の演奏の上達には、本当に頭が下がります。
がむしゃらに進んできた感じ。
 
 もともと昔から十分プロの水準の演奏でしたが、
ある年のクリスマスライブで、初めてあれを聴いた時は驚きましたね。
 
 彼のチャランゴの弦から小さな光る無数の珠が次々あふれ出し、
こぼれ落ちていくような名演奏。
ああ、素晴らしかった。(よくぞここまで.....)

 今はチャランゴの演奏の仕方も数種類あって、それぞれに素晴らしいです。
 ただ生活事情で、練習量が落ちると演奏にムラが出ることがたまにアリ。

 聴かせるボーカル、沢山の良い作詞作曲、それから幾つものユニットのリーダーとしても
沢山のファンを持っています。
 福井さんの曲は一般のポップス・フォーク系の良さもありそっちもいいです。

 私は学生時代、大抵の学校行事が苦手でしたが、
その歌は結構好きでした。
 これは別に学校行事に何の関係もない歌ですが、
福井さんの「旅の空の下で」を聴いた時これ卒業式に歌ったらすごく合うなぁ、と
妙なことを思いました。いい門出が出来そう。
 
 別にコーラスも特に好きでないですが、
この曲は混声三部で歌ってもまた映えると思います。
 柄にもなく「合唱団」ごっこしてみたい。たまには。

 まあでも一番いい歌い方は、
福井さんの飾らないさり気ない声で歌うことですね。

 飾らない性格、わりと長所短所をソフトにさらけ出すナチュラルさ、
見かけによらない大人の落ち着き、しっかりしたリーダーシップ、器が人気。

 なお彼の曲の中で、一曲だけ他と少し趣の違う曲があります。
 そうLove song「ピヨピヨ」を彼は必ず最後の方に歌います。
その歌詞のスゴいこと。(女が聞くと、ちょっとびっくり)
 
 初めてこの曲を聴いたときは
「こいつはただ者じゃない」と思いました。(失礼致します)
 
 本人は、自分が死ぬときはこの「ピヨピヨ」をライブで歌っている最中に死にたいと
おっしゃっていますが、長生きしてほしいものです。

 ★パパになったばかりの福井さんは
今、音楽以外にもとても大変な時のような気がします。
 でもめげずに「おなかとおなか」という出産songのCDをプロデュ−ス。

アンブランテ アイレ みかこバンドで活躍
 


吉田ユウ子さん

 主にボーカル・パーカッション

 去年位から驚くほど歌に磨きがかかった。
ああ、うっとり。

 外見は「お祭りの若いお姉さん」という感じ。私服もセンス良し。
人柄の良さとマイペースな大人の落ち着きを感じる人。

 ただ一回、昔のライブでほんのちょっとだけですが、
リーダーの福井さんと二人お互い子供みたいにムキになって
にくまれ口をきき合ってたことがあって、かわいかったね。
(普段は昔からずーっと、いつもリーダーに絶対服従でがんばっています)

 世の中には歌姫と呼ばれる女性ボーカリストが沢山います。
でもどんな素晴らしい歌手でも好みに合わない声だったら
さほど好きになれないですよね。

 私にとって歌姫・DIVAとは「吉田ユウ子」のことです。
 吉田の「姫声」、金の声。

 吉田ユウ子さんの歌声はジャンルを越えて私を幸せにしてくれるのです。
「月の音、聴いてる」等福井さんの曲を、ずっと歌い込んできた人。
 
 ティンクナのチームワークが深まるにつれて、
メンバーそれぞれの演奏もレベルアップしていって、
またファンは沢山のことを教えられました。。
 
彼女の歌声を私は勝手に「姫声」と呼んで喜んでいます。

 プロとして苦労もした印象のある吉田さんですが、

 あのおっとりと、いや味のない品のある澄んだ美しい声、
 ゆったりタメのきく安定した歌い方の中にふっ、とはかな気な感じもして、
もうワタクシ耳が喜んじゃって。

※ティンクナのほかに、「トロ」というユニットで岡田浩安さんと活躍中です。

 参照 
   
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HARD TO FIND(ハード・トゥ・ファインド)

 主にケルト音楽。
  
「ケルト音楽を東洋的感情で昇華した新しい伝統音楽」と言われています。

(アイルランドの伝統楽器による、アイルランド、東欧、北欧諸国、アジアの民族音楽。
  オリジナル曲も多々)
  学生時代からのユニットは、今年で結成十六年。
 紅一点の操さんはリ−ダ−の小松崎夫人。

 北海道を題材にしたオリジナル曲も多い。
 その音楽といい、息の長い活動歴といい、家族的結束といい、
また北海道インディーズ民族音楽家のお兄さん格的活動といい、メンバ−の年輪といい、
私は彼らを「北海道の宝」名物ユニットだと思っています。

 四人共ソロ的な活動があって、そちらもそれぞれ十分いい演奏なのですが
 でも四人になってHtFになると、また微妙に違うモードになっている。

「鉄壁のチームワーク」!!HtFの皆さんは「我を殺さずに、我を捨てている」、
そういう感じがします。
 オーケストラ程人数いないので、それぞれの個性もとても大事ですから。

 楽器の種類ごとの音量とか演奏分量等、お互いの見せ場の出と引きが絶妙。
 きれいごとでなく本当にこの「鉄壁のチームワーク演奏」が
素晴らしい演奏を可能にするのだ、と目の当たりにさせてくれました。

 アイルランド人でも、知ってる人が少ない楽器である中世のハンマーダルシマーが
メイン。
 アイリッシュ音楽をやるユニットは結構ありますし
ネィティブの有名ユニットのCDも持っていますが、
私はHtFの楽器構成での演奏が最高に好きです。
 曲の糖度(?)が微妙に少ないし。
 
 ダルシマーがアイルランドでも一般化しなかったのは、
多分演奏するのがとても大変な楽器だからのような気がします。
 ハープ系の美しい音色ですが打弦楽器のせいか、
微妙な所で華美に流れ過ぎなくて私は好きです。音色の底が骨太な所も。

 ダルシマーの他にもう一台主旋律的楽器フィドルがあります。
これは「バイオリン」なのですが、演奏の仕方も音色もクラシックとは全然違います。
 そして中では一番派手な音の出る楽器です。(だから苦労も)
 
 昔読んだオペラのマンガに、
主演のソプラノには二種類タイプがあるという話がありました。
「ドラマティックソプラノ(華やかでドラマティック)」と
「リリコソプラノ(繊細で叙情的)」。

 それぞれの良さがはっきりとある、いずれも主役の歌手の歌い方。
 これに例えるなら前者がフィドル、
後者がダルシマーという楽器自体の持つ音色でしょうか。
 
 HtFの場合この二台が演奏中に微妙に溶け合って、
そこにベースのギター、スパイスの笛やボウランが入って一つになって、
四台の音が応え合って、演奏は更に更に高まっていく感じがします。

 前にまだ結成十六年経ってると知らなかった、
千歳市のプラネタリュウムコンサートの客席で私は「飛び」ました。
「モリソンズジグ」詳しくはクリックというアイルランドの
ダンスチューンの演奏のときでした。

 あれは最高でしたね。
 
 HtFはそのときによって、いろいろなタイプの演奏を聴かせてくれます。
 絶好調のときは、四人が溶け合って一つ。
 「せつない」「精霊が宿る」「高まっていく」いろいろな感想が客席からも上がりますね。
 日常生活の中の音楽のはずなのに、不思議。
(もちろん楽しいのとか、演奏の種類はいろいろあります)

 クラシックなコンサートホールからいろいろなお店、野外等その場に合った演奏。
 メンバー各々の年輪、ユニットの結成十六年。
喜びも悲しみもいく年月......という家族的ユニットだから
こういう風な深い味が出せるのだと思います。

HtFのHP


扇柳徹さん

 ボウラン・ホィッスル・アイリッシュブギー奏者

 学生時代にすでに出会っていた他のメンバーと異なり、
扇柳さんは、彼らが札幌に来てからのご縁。
でも創立からのHtFのメンバーです。

 一矢乱れぬHtFのチームワ−ク演奏の中、
曲の彩りを鮮やかにします。
 私はボウランとアイリッシュブギーと
ブリキのティンホィッスルが特に好きですね。

 私の大好きな曲「ジュリア・ディラニー」という曲の中の、ボウランが特に最高!。
この曲四台の楽器の配分がほぼ等分という部分がかなり多い曲。
 扇柳さんが他の三人の演奏を祝福するように、静かで巧みなリズムでボウランを
叩くと、曲全体が起き上がってくるような感じがして。

 アイリッシュ・ブギーは楽器の構えかたも扇柳さん独特。
ちょっとコミカルに、でもいさぎ良く決然と弾くの。楽しい演奏。

 他のメンバーと違って、扇柳さんは沢山の楽器を扱わなければ
ならないので大変だと思います。
 でもHtFの音楽の大切な仕上げのスパイスが、
扇柳さんの演奏だと思います。

 HtFの中では個性の強い存在感。
三角山放送のパーソナリティもしています。

 たまに思い立って髪を茶髪にしたり、無言・迫力のパフォーマンス、
ライブの途中でひと言過激なジョークを口にしたり、
 ハラハラしつつも楽しい方です。
 そう言えばHtFは元はブルー・グラス出身。
海外でもこのジャンルの演奏家の中にはコメディアンもやれる人がいます。

 扇柳さんはそういう方面もいける方です。
今度演奏と別口で、ショータイムあっても楽しいなぁ、と思います。
 通常の演奏会ライブでは難しいかもしれませんが。

 HtFの明るい盛り上げ役ですが、
 普段はお人柄、マイペースな落ち着きが感じられる方です。

 そして、息子を愛するパパさん。曲によっては主旋律部分を受け持つ笛ですが、
 私は息子さんに捧げたオリジナル曲のときに聴ける、笛の演奏が一番好き。
 絶妙。つや消しのような、少し抑えた吹き方。なのにかえってしみじみ映えるのです。
 
 この曲の時だけでなく、個人的に扇柳さんのホィッスルは
ブリキ製のティンホィッスルが一番好みです。
 金属なのに耳にきしまないし音量といい、響き方といい抑えているのに存在感が大きい。
成熟した心のゆとりを感じる時。
 
 オリジナル曲も人気アリ!
最新CDでは、循環呼吸演奏の「鈴架の空」も評判に。
 ソロ活動や他のユニットとの競演も増えています!!!
星直樹さんと組むときは「星一徹」なんてのもあって受けてます。(はは)

 1st.ソロCD「はなのあめ」絶賛発売中です!!!
クラリネットにも、コンセプトの「和」を感じる表題曲は、
ひな祭りに亡くなられたお祖母さまにちなんだ、しめやかな曲。
 葬儀の日、はなのあめは本当に降ったのかもしれない、と思いました。

(ばばコン、だった私は自分の祖母の御見送りのときを思い出しました。うわーん

 
小松崎健さん
 
 ハンマーダルシマー奏者(教室もやってます)
 FMさっぽろ村ラジオのパーソナリティ。
 コンサートのほか、作曲家としてテレビ・記録映画用音楽等の活動も!!

 昨年健康のため、ひと回りやせられました。
(うらやましい)
 圧倒的に年間ステ−ジ数が多いHtFの営業担当等として、
音楽のほかにも休む間のない日々を送っています。

 とても気さくなお人柄の健さんですが、彼のダルシマーの演奏には、
かすかな白い光みたいな奥行きがあって、高まっていくのを感じる時があります。

 HtFのジグやリール等のダンスチューンの出だしのほとんどが
ダルシマーで始まって、他の三台の楽器を引き込みます。
初めて聴いた時、私はここで耳と目が釘づけになりました。
 今でも聴いててぞくぞくします。

 さて、CDの話になりますが、
HtFの演奏の中で私の大好きな「モリソンズ・ジグ」、
これを健さんはソロのライブアルバムの中で、独奏しています。
 両方ともCDで聴きましたが、健さんのソロは力強くて素晴らしいです。
(CD「風の響き・愛蘭土の調べ」)

 ダルシマーは弾き方によっていろいろ楽しませてくれる楽器です。
 「オルゴールの珠玉の演奏」に似た精緻で繊細できれいな魅力も沢山ある楽器ですが、
私は健さんの、それとはちょっと違う、力強くてせつない時の演奏の仕方が特に好きです。
(曲目によって良さはそれぞれありますが)

 あと手首の上をわりとぶらぶら、自由にして叩く感じのときも楽しいです。
それで普通に演奏する場合もいいですが、
さらに「楽器を叩く」ようでない叩き方で味のある音を出すことがあります。。

 やはりこの方の静かで強いリーダー力があればこそ、
HtFはここまで来れたという気がします。
 温かく優しい人間的なキャラクターに、
力強いリーダー頭が備わっている。

 結成十六年という年数、いろいろな沢山の壁を乗り越えて今のHtFになったはず。
その姿には本当に教えられました。
 言葉にしないけれど健さん率いる「Hard to find」の皆さんは
ユニット名の通り「見つけにくい、得がたい何か」を音楽に求めていくことを
最初に決めて活動を始めたのだと思います。
 
 その「何か」が「何なのか」は分からない。
ただ皆さんマイペースでコツコツ長い道のりを来ているのだなぁ、
という感じがします。

 「そして4人はどこへ行くのか?」
最近の演奏を聴いた後には、私はいつもそう思うようになりました。
 HtFはユニットを組むことの意味をそれぞれがぎりぎりの所で受け止め、
試行錯誤をしながら、ここまで来たのだと思います。

 健さんは卒業後、北海道に魅かれ本州から移住。
「千歳川」等、こよなく愛する北海道が題材の曲がまた素敵。
 こんなに北海道を感じる曲をつくれるのは、
多分本州と両方を知っていて、
そして北海道を長く愛してきたからじゃないかなぁ、と思う

 ダルシマーがつむぐ叙景詩のみごとさ、自然さ、品格。
北海道の自然の風物と歴史が、光と水と共に沢山詰まっています。

 他「バッコンズ」「ストーヴ」2ユニットでも活動。
 また他のジャンルとの競演も多し!!!



小松崎操さん

 フィドル奏者

 HtFの鉄壁のチームワークは、操さんのフィドルの演奏でもよく分かります。
 健さんのハンマーダルシマーの音色の下に、
操さんのフィドルがぴたっと付いて演奏される。
 なかなか出来ることじゃないと思います。まるで高性能の潜水艦みたいに。

(そして健さんもこの逆を操さんのフィドルに対してすることがあります。すごい)

 児童文学の大家 後藤竜二氏の絵本「りんごの花」に寄せてアルバムをつくったことも。
 オリジナルの「りんごの花」という曲は、
健さんとお子さんとの素晴らしい家庭生活が生み出した、
温かい女性性、情感を強く感じる音楽。

 健さんの公私共のパートナー・ユニットのおかみさん役として、
幸せながらも大変なこと沢山あると思います。
音楽と愛と家庭とこれからもますますのご活躍をお祈りしております。

 星さんとの人気ユニット「RINKA」でも活動
最新アルバムは「Beauties of Autumn」!!
 
 IRISH MELODIES HP
 
(2003年7月下旬)
 ◆最近の演奏に、ご夫妻のまた新しい面が現れて驚いています。

 それまでは健さんと夫人の操さんの、
前述のようなご夫妻ならではの絶妙演奏でした。
 それだけでも最高だったのに、ある会場のある一曲の二人だけの演奏部分で
二人はまた新しいデュオの組み方を聴かせてくれたのです。
 
 ダルシマーとフィドルが互いに確かめ合いながら、
一音一音深く入っていって、お互いの存在の根の所まで降りていく感じでした。
 神秘的だった。
 長年の演奏歴と人生の年輪がないと出来ないタイプの演奏だと思った。
二人共が超上手くないと、
結局双方殺し合って聴こえ、曲自体のバランスが変になってしまうから。

 それは二人がご夫婦なことや、男と女であることに関りない演奏だった。
 ただ二人が結婚していることで、演奏パートナーとしても長く親密になれていた
ことが、あの演奏を可能にしやすくしたのだと思う。
アーティスト同士として互いにじっくり取り組めたことが。
 この演奏パートナーシップの新しさ、素晴らしさにまたとても教えられました。
 
 デュオにはいろいろな組み方があって、その時と場合でそれぞれの良さがありますよね。


星直樹さん

 ギター奏者(教室もやってます)

 いぶし銀のギタリスト。HtFの押さえ。
 若い外見なのに、無口でいつもしぶい存在感。
 サラリーマンを退職後覚悟してこの道に。

 ストイックにギターひと筋。
 穏やかで温厚な人柄と、そこに隠れる芯の強さを感じる人。

 星さんのギターの素晴らしさは、他のメンバーが調子良くない時によく分かります。
何かの事情で他のメンバーの演奏が不調のとき、
いつもは脇役に徹している彼のギターの音が前に出るのです。
 
 普段の時だって、例え地味に脇に徹して演奏していても、
演奏技術の確かさはそれだけで華があるものだなぁ、と教えられています。

 この他操さんとの人気ユニット「RINKA」でも活動。
最新アルバムは「Beauties of Autumn」!!
 扇柳徹さんと組むときは「星一徹」なんてのもあって受けてます。(はは)

 一度だけソロ演奏を一曲聴いたことがあります。
 とても繊細な弾き方をベースにそのさ中、別の手で朴訥につま弾く部分があって
とても素晴らしかった。
 それは拙く弦を弾いているようで、実はとても難しい弾き方のように思えました。
 
 しみじみと心に染み込んでくる、温かい演奏。豊かな。
 人には何があってもどこに居ても、心の奥底に「静かな流れ」があって
星さんの演奏はそれが基底にあるような気がしました。
 
 それは不器用な人しか手に出来ない世界なのかもしれない。 


(2004年11月)

 ◆久しぶりでした。小さな画廊喫茶なのですが音響が素晴らしいので
よくレコーディングスタジオに使われる会場。
 素晴らしかった。いつも思うのですが民族音楽の場合「ベストコンディション」を感じる
演奏にも2タイプありますよね。

@演奏家達がリラックスして、肩の力が抜けていて、ちょっと精神的に余裕あって
心持ちどこか引いて演奏している時。音楽が引く分、観客のイマジネーションが広がる感じなのかも。

 HtFなら会場の空気が心持ち「あめ色」に変化したようになって、
会場とスタッフとお客さんとそこにあるオブジェの全てと、空気と温度と匂いが演奏家の音楽で
一つに紡ぎ合わされて、廻るというような感じ。
「ああ音楽って楽しいなぁ」って心から思えて。
 こういう時は演奏終わっても、打上げ行ったり、会場に残りたくなりますね。
「音楽って本当に素晴らしい」と心底思える感じ。

 リラックスして余裕で演奏しているといっても、演奏家の方たちは手を抜いている訳でなくて
そういう演奏だということ。
 人びとの人生の節目ごと、生活の中のいろいろな場面で演奏されてきた
「生活必需品」の曲ばかりだから、こういう演奏の仕方もまた正統な演奏なのだと思います。

Aクラシックのコンサートに似ていますが、演奏家の方はこなれて弾いていながらも
会場は何かが張り詰めたようになって、テンションが上がっていく感じのタイプ。
演奏家の真剣さ、音楽の神聖さ尊さ。
HtFならつやが増して、せつない感じ、精霊が宿る、音の滴がしたたるというあれ、ですね。
(ヨダレもの演奏ですね)

(ちなみに@でも演奏家の方は変らず真剣なのだと思います。ただ会場と観客に対して
多少遠慮というか気を使っているように思えるのが@。会場の全てを含めて演奏している感じ。
もう一つはたまたまそういう巡り合わせとテンションで
「何もかも忘れて演奏に没頭している」時がAですね。
@の楽しさも大好きだし、
Aの後は、余韻を大事に楽しみたいから一人で黙っていたい(私個人は))

 私は個人的にはやはりA!!!ですが、でも@も又捨てがたい!!!
(両方それぞれの良さですね)

★今回はソロでないけれど、星さんがリードを取る「アーロンズブギー」がめちゃ良かった。
いつも裏に回りがちな星さんは、こんな華やかで面白い楽しい演奏もやるのですね。

 ソロアルバムを出した扇柳さんは、大事を一つ終えた余裕か一段と素敵な感じがしました。
かすかに丸味が出て、それが変でなくいい雰囲気。
 特にアルバムの曲「鎮守の森」のクラリネット演奏は、素晴らしかった。
クラリネットといいティンホイッスルといい、
「扇柳さんの金管楽器(?)」私はとても好きです。
せつせつと、ひそやかに響くサウンドの数々。

 ちょっと又きゃしゃになった気がする操夫人、
衣装も一段と素敵だったし演奏はいつもながら素晴らしかったです。

 「フィドルとはこんなにいいものか?」と操さんの演奏を聴くといつも思うのですが、
楽器自体印象が強烈なフィドル(バイオリン)の音色が、HtFのほかの三人の楽器と合わさることで
引き算されて糖度が下がり、逆にそれぞれが強烈に引き合い、引き立つ感じが私は最高に好みです。
 これはダルシマーにも他の楽器にも似たことを感じます。
 お互い殺しあうことだって簡単に出来ると思うので、
絶妙のチームワークと年輪のあるHtFのグレートさを又ことさらに感じました。
 
 健さんは笛がとても上手いことに最近気づいて驚いています。
打弦楽器専門だと思っていました。
近年、娘さんが吹奏楽で素晴らしい活躍、充実した青春・学生生活を送っておられるのですが、
健さんのメインの楽器ではないですが、笛については「さすが彼女のお父さんだけある」
と思ってしまった。

(実は娘さんの演奏はまだデビュー前だから聴いたことないです。
でも素晴らしい活躍をなさってます)

 健さんて何となくどこか良い意味で「意外な部分」をいろいろ隠している方だと
思うことがあります。(根拠ないけど、あくまで良い意味でです)

 リーダーの小松崎健さん・操夫人は、それぞれいろいろなユニットで
HtF以外のそれぞれの演奏活動の場面が増えてきています。(扇柳さんも星さんもご同様に)
 でもお世辞抜きで私は思います。

 この二人は他の演奏家との活動で互いの見聞を深めているんだなぁ、と。
 だってやはりHtFでご夫妻で演奏するときが、最高の演奏に聴こえるから。
 互いに懐が深くなって、さらに魅力が!!
そのために、ご夫妻はいろいろな葛藤を乗り越えてきたように思います。

 お二人の「ご夫妻ベスト演奏」を聴きながら、
私はやはりお世辞抜きで健さんのお人柄を感じます。
 素晴らしい演奏家ですが、リーダーとして、又死ぬほど音楽が好きなミュージシャンとして
健さんはHtFのこと優先で自分個人のことを後回しにしてきたような気がします。
 まだ数年しかHtFを聴いていないのですが先述のように、
健さんは営業・広報、マネージャー業務等で音楽家として以外にも大変ご多忙な方です。
僭越ながらお気の毒な位。
 でも健さんだからやっていけると思います。

 「北海道の名物・宝ユニット」大好きなHtFの皆様、
お体にお気をつけて、これからも末永くご活躍なさって下さいませ。

(ああ、こうやって書かれようと書かれまいと音楽する方たちは
一つのユニット、一人の演奏家について生涯がずっと後日追記の更新の連続なのですよね。
すごいこと、とてつもなく素晴らしいことです)

 ※そしてこれはどんな人でも、何をしている人でも同じですね。

参照 
   
━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━

SOUBGEN

 杉中夫妻のユニット。
 活動を二つに分けると、和ベースの、三味線・日舞と
アポリジニ音楽ベースの、ディジュリドゥ・ボーカル・タンプーラ。
 
 ワールドミュージックは、いろいろなジャンルが混じっているので、
聴く側も固定観念や、従来の価値判断を横に置いて、
オープンな気持ちで聴くと良さを感じやすいですよね。

 実力ある「道楽者」を強く感じるユニット。
特に、私の好きな和ベースの方を書きます。

 特徴は「お座敷」遊びの楽しさ。
 
 三味線や謡や日舞は、日本のお座敷で花開いた素晴らしい伝統芸能です。
でもお座敷で育った花は大きな舞台に上がると、普通ちょっと貧弱に見えます。
(カラオケボックスでどれ程上手く歌う人でも、
舞台で歌うとスケール小さく感じるのと似てますね)

 彼らはこの道楽アート「お座敷」の芸能の良さを、
舞台でちゃんと表現出来るアーティスト。

 本当のお座敷は、接待・宴会の場所でもありますので、
どこか猥雑な印象がない訳ではないのですが、
彼らの舞台は粋で品が良いです。
 
 空間コーディネィト・衣装も含めて、見応えあります。
プロとして人を楽しませることに徹した結果「ど派手」。
 
 彼らのライブは、
花も実もある中高年のお客さん達も熱狂!!大拍手で盛り上がります。

 なお特に若い子達のファンが多いアポリジニ音楽の方は、
ライブの他にワークショップも開いています。

 ただ音楽・踊りそしてビジュアル的にも見応えたっぷり過ぎて、
目移りしてしまい、演奏自体の印象が多少散るのが残念な所。
 一つ一つが半端なものではなく、しっかりしたものなので、
余計残念。

 でもそういう損も承知で、思い切り「道楽者の花」を咲かせる感じが
SOUBGENのすごい所。

杉中久夫さん
(三味線、ディジュリドゥ) 
 
 アボリジニ音楽のディジュリドゥの演奏もとてもいいのですが、
ここでは三味線中心に。

 杉中久夫さんは、学生時代にロックギターで数々の受賞歴があります。

 彼は「何の楽器」とか「何の音楽」という分け隔ての観念の薄い人。
 今愛着を感じている楽器が、逆にどんな音を出せるのか、どんな可能性があるのか、
そういうことを追求していきたい、ある意味でぜいたくな人という印象。
そしてそのために受ける損な部分(半端に思われやすい)も黙って背負っている。

 彼が世間で高く評価されたロックギターを捨てて選んだのが三味線。

 彼の三味線は数年の手ほどきを師匠に受けた他は独学。
でも乗ってる時の舞台に当たるとバチで弾く三味線という楽器の味を
十分に堪能させてもらえます。
 上手いです。稽古に励んだ彼自身の三味線の巧みさを
彼は「まだもて余している」と、時に思うことすらある位。

 
 涼しい目元とあまりに寡黙な印象にとっつきにくい感じもアリ。
 でもバチを持って熱がこもると、普段見せない強い芯とエネルギーを感じさせてくれます。
 幕間の時は全体的に気さくで温か。
 
 彼は三味線でインド音楽を演奏したことがありますが、
三味線と思えないような音色と演奏の仕方なのにとてもなじんでいて不思議でした。
 一見ミスマッチ、エスニックという感じなのですが、浮いた感じは全然なかったですね。

 楽曲はインドなのですが、逆にこれが三味線のキャパシティの開拓、
その新しい面を聴かせてくれるためにインドの楽曲を選んだように思えた。

 シタールそっくりに弾いているのだけど、
全然違う三味線という楽器はこういう音も楽々出せるのだと勉強させてもらった感じ。
音楽を楽しみながら。

 日本は夫婦社会でないので、ご夫婦で活躍される方はジャンルを問わず
気苦労もあるようですが、
 気さくで個性強い二人は見てるだけで心楽しく、
 対のお神酒徳利デスネ。

ゆう呼さあやさん
(日舞・ボーカル・タンプーラ奏者・)

 
 ご主人の久夫氏の三味線と同じく、流派に属さない彼女の日舞。
 
 元々舞台の日舞のプロの舞踊家。
 フリーで活動中で、時々別の流派のプロの公演に助っ人に行ったり。
 長年稽古に励んだ彼女の日舞は、
あだっぽくて、可愛くて、元気良くて清らかで。
  
 気さくな人柄、とても素敵な女の人です。
 この年齢になったから、余計素敵なの。
 
 ご主人の久夫氏の懐の大きさを感じる所ですね。

 昔、有名な芸妓さんがスターになってレコードを出したり
大きな舞台に立った時代があったそうですが、
 それを思い出す位あでやかな印象。

 服飾とインテリア等のセンスがプロのスタイリスト並の、
ゆう呼さあやさんが選ぶ舞台衣装はそれだけでも、一見の価値アリ。

 初めて彼女の用意した大がかりな布の舞台装置と衣装を見たとき、
私はしばらくぼや〜っと、ただ見とれていました。
 舞台装置はその時によって、あったりなかったり簡単だったりもします。
 
 それから化粧。
 一般に濃い化粧というものは、良い印象を持たれないのですが、
彼女はメイクアップはお白粉と紅の素敵さ、お座敷のお化粧の良さを
上手に舞台用にした感じがあります。

 謡というのでしょうか、声もいいです。
アボリジニ音楽の時は、向こうの言葉で歌ってくれます。



参照 

チャオHP

   
━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━

浜田隆史さん
 ラグタイム音楽・ボーカル)

 日本のラグタイムギター演奏の第一人者として定評あり。
 
 初めて聴いた時、洗練された美しい音の波がシャワーのように
客席に降り注いで来てびっくりした。ギターなのですが、ギタ−じゃないような。
 
 棹の弦を抑える左手・奏でる右手の間を通り抜ける、
生き生きした脈動。超絶技巧演奏はライブならでは!
 
 ラグタイム音楽とは、19世紀末から20世紀初めに広まった黒人音楽。
一般には映画「第三の男」や「スティング」(エンターティナー)のテーマ曲で
なじみ深いです。
 そして上記のと微妙に趣の違う「これぞラグタイム」と思うような「らしい」曲を聴くと、
イメージしやすい情景があります。
 
 いずれも昔の外国映画。
 古き良き時代のホテルのレストランやバーで、
着飾ったお客さん達のために演奏される生の音楽。
麻のジャケットの演奏家達。

 または大きな商船が停泊する港、昔の外国のお洒落な酒場。
港湾で働く仕事帰りの労働者や、船員や商人達がくつろぐ時間、
ステージの音楽。

 つまり洒脱で軽快な、音楽です。

 生活の中の何かがシンドイ時に聴きたい音楽を2通りに分けると、
 
@哀しい辛い気持ち、メッセージ等をストレートに表現している曲
 (共感することで、自分の中の感情・想念を解放して楽になれる)

A特に特定の感情を表現せずに、何もかも忘れて楽しめる音楽
 
 ラグタイム音楽はAだと私は思います。
 浜田さんも曲によっては踊るように、体中で演奏していますが、
こんなに陽気でリズミカルな音楽は、めったにないのです。
 でもその音符の隙間に、人の生活のさまざまな想いが昇華されていく。
「まあ、いいや」「また明日」って。

 ライブハウスで浜田さんの演奏を聴きながら、
「ああ、こんな音楽を聴ける時間もあるのだから、また明日もがんばろう」
と思えたのです。
 当時の黒人の状況は、とても大変なものだったと思います。
 でもこんな音楽があった。

 民族音楽の力強さって、ラグタイムに限らずこういう「しぶとさ」を
くれることだと思います。

 ボーカルは、フォーク系。
 個人的な趣味で恐縮ですが、私はこれをラグタイム音楽と分けて
別々にライブをしてほしい。それぞれの良さがあるから。
 
 浜田さんの唄もファン多く心癒されるとても良いものです。
 楽しい軽い歌い方、さり気ない日常のことを題材にした素朴な歌詞に
慰められ、元気が出た人も多いです。「クラス会」「いばって歩け」等。
 特に一曲歌い方がとても個性的で面白い「素のままで」が私は好きです。
聴けば分かる(うん)。あの良さは。

 切れ長の目と五月人形のような口元が魅力!

 それから浜田さんが雨天の日と所用・ライブの日以外はほとんど毎日する
小樽運河路上演奏(投げ銭スタイル)。

 私はライブは、ちゃんと屋内の会場で聴くのが好きです。
浜田さんの演奏も屋内の会場で聴く方が音楽的には好き。

 でもこの運河演奏は、想像してたよりず〜っと良かったですね。

 屋内会場のライブは、音楽を聴くためにベストの状態にしてあるし、
演奏者の音楽の妨げになるものがほとんどないから、
その音楽のベストのエネルギーを集中して感じられて大満足!!

 それに比べて路上演奏はとてもすがすがしく心地良いのですが、
誰のであっても音の条件が悪いので、
聴くサイドとしてはそれほど好きではありませんでした。
 でも浜田さんのは良かったデスネ。これはこれでヤミツキ感有り。

 運河の浜田さんは、
普段の超絶演奏ライブとはまた違う演奏の仕方に思えました。
 運河に合わせてオタルナイ・コードというオリジナルコードで
演奏するのですが、それ以前に別タイプの演奏に感じられました。

 小樽の夕暮れ、運河と水、橋、初夏の風、石畳、洋館風の建物の並ぶ街並み。
 そこでの浜田さんは静かに街の風景の一部になろうとするような、
デリケートな演奏の仕方。
 ここだけの、というようなはかない感じの時間でした。

 この演奏自体はほぼ毎日、13:00〜16:00、
そして夏はさらに夜19:00〜21:00に予定されています。

(その日演奏あるかどうかは、浜田さんにメールで前もって
 確認した方がいいと思います)

 街の騒音にギターの音がかなり散ってしまうのですが、
それが逆に何とも言えない、静かな響きを....。
 耳をそばだてて聴く、という感じの良さ。

 有機的な関わりを音楽で、その土地、空気、水、燈、街の風景や年月に持つということが
出来るのだなぁ、と思いました。
 つまり、音楽が夕日や運河の水や夏の風や石畳と一緒に呼吸して、ただある感じ。
ただ自分も溶け込んでいきたいような演奏。

 例えデジタル楽器でないアコースティック楽器でも、弾き方によっては
演奏自体は良くても、街に溶け込むということは出来ないと思います。

 音楽で有機的な関わりを周りと持てるというのは、
多分小樽を愛する浜田さんが、
自我を越えて、小樽に対してオープンになっているからかなぁ、
と思いました。

 また来よう、と思いました。
次回は小さな折りたたみイス持参で。

 ※ちなみに路上演奏をのんびり聴く用goods。
 地面が土でない限りは腰を下ろしてゆっくり聴くのは、冷えて困難。
 で、もし長く聴いてみたくなったら.....
 
 @ぶ厚い古雑誌一冊。この上に座る。
 又は週刊誌一冊と古新聞の朝刊があると便利。新聞を四つ折にして上に週刊誌。
  ここに座る。
  女性はさらに白い半透明のビニールのゴミ袋をかけると、見た目もOK。
 A大きな旅行用品売り場にある、空気入れて使える携帯用クッション。
 新聞紙の上に、これを置いて座る。
 B小さな折たたみイス。座り心地ベストなれど携帯用には重すぎるかも

 私が行った日の中では、
「夢和に捧げる曲」「メナシトマリ」「蘭島」等のオリジナル曲が好きです。
それからラグタイムではないですが、古い映画「慕情」のテーマ曲が絶品でした。
(映画はオーケストラなのですが浜田さんはギター一本。別の味が出ます)
 やはり運河沿いを歩く人たちが立ち止まっていきますね。
 あと特にロシア人に喜ばれる、ギターで「バッハチェロ無伴奏ソナタ」もアリ。


  面倒見がよく、太っ腹な所のある人。
 他の隠れた素晴らしいユニットのライブを企画して紹介したり。
 
 文学畑の方の詩作も。
彼がこよなく愛する小樽を題材にした詩が多いです。

 またアイヌ研究家としても仕事をされています。

 やはり少数民族文化の理解は、

 その民族の方々自身の働きかけ「伝える活動」と、
伝える・伝えられる側両方のための翻訳(言語の訳だけでなく解説・研究等々)
仲介「橋渡し活動」と、伝えられる側・受け手の意欲「知るための活動」が
必要ですよね。

 この三つの立場の方々のどれが欠けても難しい。
 そしてこの三者がきっちりかみ合うと、単なる文化の理解のみならず
三者の立場の分け隔てが薄れて、「みんなで一つの目的を持ち、活動する」という
実感が生まれていくのだと思います。

 浜田さんの気持ちは、
昔、アイヌ文化を学びたくて長く勤めた会社を辞めた程、強いものでした。
それが段々少しづつ実を結んでくのが、
外目にも楽しみな感じがします。

 現在はアイヌ民族関連の出版に幾つも関わり、
ボランティアでアイヌ語の新聞「アイヌタイムス」の執筆者もしています。

 アイヌ民族はまったく独自の言語を持っています。
 私達の住む同じ土地の上で自然に出来上がった、日本語とは全く別の言語アイヌ語。
そこには和人が見落としていた、北海道の別の素晴らしさが現れているのかもしれません。
 決してアイヌ語はやさしい言語ではありませんが、それを学ぶことで自分たちが知っているはずの
北海道という土地の新たな面が見えてきたりするのでしょうか。。

 浜田さんに限らず、一般に音楽をする人たちは言語の習得に強い方が多い気がします。
 その必要がある場合の方は、ですが。
 音楽出来ない私は、日本語もなかなか・・・・。(トホホ)

★最新CD「赤岩組曲」は作曲家としても新境地、
新しい試みのある作品集。
 昭和初期のティストのある題やイラストもいい。
 
 中でも”想い出”は珠玉の一曲だと思った。曲も演奏も。
 何を想い出してつくった曲なのか、
ドラマやCMの曲にもいいなぁと思う私ってミーハーさんだなぁ。

◆この新作CDの発表も兼ねたライブに12月上旬私は行ってきました。
 絶好調の超絶技巧演奏!!CDとはまた違う種類の迫力。

 ただ浜田さんはそのテクを「どうだすごいだろう」とひけらかすような
演奏はしない人です。
 ただ演奏中にその難しさを一つ一つ自分でクリアしていくことを楽しんでいるだけという印象。
 そしてそれらが演奏の中でとても自然なのは、演奏の中で必要だからなされているからだと思いました。
 ライブ「赤岩組曲」の演奏で浜田さんは何も説明しませんでしたが、
まるでギターで岩を愛でて登っていくかのような演奏を披露してくれました。
 まず弦の音一つ一つが微妙にぶつかりあって、かすかにはじけ合うようになる。
 そして弦の音色が連なりをつくり出す。そしてその旋律、リズムの中には
かすかなくぼみや尾根のようなのがあって、彼はそれを丹念に弦であぶり出す感じ。

 引越しの多い私にとって一つの土地がこれ程深く心に染み込むことはなかったです。
 いろいろな家や土地に住めて、楽しかったと思ってきました。
 多少人より見聞が広くなったつもりでした。
  
 でも浜田さんと小樽への深いつながりを感じると、
一つの土地を愛し、深く思うことで逆にそこから普遍的な何か、
「地球のすべて」を大切に思うこと、方法を学べるのかもしれないと
ちょっぴり思いました。

◆2004年12月には新しい歌のCD「歌箱」が発売されました。
ラグタイムギタリストと違う、浜田さんの歌の世界がぎっしり。

★浜田隆史さんにという方には、類まれなる美質があります。
 それは新人の方にチャンスを沢山あげる所です。

 青田好きというのでしょうか、高校生のギタリストと一緒にジョイントをして
先々の成長を楽しむ親心というのでしょうか。
 これは浜田さんご自身が高校生の頃からライブに出るようになっていたことへの
ご恩返しという部分もあるのでしょうか。
 理由は何にせよ、普通ミュージシャンの方々はご自身の演奏活動だけでも精一杯のはずの
だと思います。(生活もあるし)
 だから浜田さんのこういうところを、私はとても素晴らしいと思っています。

 
参照 
   浜田隆史HP
━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━

N’DANA

 アフリカ音楽のタイコユニット
渡島地方を拠点に、今は本州全国での活躍の方が多い。

 この数での男だけのタイコ演奏の迫力は最高!!
地味派手な盛り上がり!!!!

 今のメンバーになってから、演奏も表情もそれぞれの雰囲気が強まって
「元気ノリノリ」だけでない、アヤシイ感じの魅力も+++。
 
 このユニットの場合は、くつろいでそれぞれ好きに遠慮なく自分を出してる時が
全体でいい演奏になってる感じがしました。
二人とも自制心強過ぎる感じだからかなぁ。
 
 ネィティブのアフリカ人のタイコの演奏は確か技術的にずば抜けて素晴らしいのですが、
アフリカの灼熱の大地の過酷さに拮抗するように、タイコも酷烈な演奏過ぎて、
私はちょっと抵抗あるのです。
全力で最高に激しく叩く時でも、N’DANAのは微妙に違ってて。

 だから日本人の、N’DANAのアフリカ音楽の方が好きです。
編集部だけでなく、他にもそういう声アリ。
 
 絶好調の時は天から何かが降りて来るような素晴らしい演奏。
 
 二人で叩いているのを聴いていると客席の私達も他のことがどうでも良くなり、
音楽を聴くだけの存在になり、
ただこの瞬間が終わらずにずっと続くことだけを願ってしまう。
 そういうヤミツキ感があります。

(神官祝祭系の、何かを呼び出す演奏だからでしょうか)

 人気者のN’DANAのライブ、私は動きたくなる衝動を抑えてじっとして聴いているのが好き。
音楽を浴びて
 でもそれと逆に素直に踊りまくる人たちも多し。
 いつも沢山のダンサーたちが会場にひしめいて、ライブの熱がまた上がります。


木村マサト(MASATO)

 コンガ奏者(教室もやってます)

 忘れない、N.Yから帰国して最初の彼のライブ出演。
 あのスタイリッシュでクールなコンガの演奏のすごさを。
 一人でアメリカに渡って長年音楽修業ひと筋でがんばって来た人。
ご本人は地味・温か系ですごく落ち着いた印象。苦労沢山して人柄も磨かれた感じの人。
私服もセンス良し。

 彼のコンガを聴きながら、N.Yがどういう所がどう所か初めて実感した気がしました。
人種のるつぼと言われ、演奏家の層の厚いN.Yは誰よりも際立つ、ということを
この人に要求し続けたのだと思った。
 キタナイことする訳じゃない、ひとの足引っ張るわけでもない、
 (そういうことすると音楽に出るので、する人少ないと思いますが。音楽に限らず)
 
 その演奏が人と違って個性的で刺激的で洗練されていること、
そして演奏技術を最高以上に高めようとし続けること。
 良くも悪くもN.Yはそういう音楽を集めるのだと思った。

 打楽器好きの私にはジャンルを越えて、ヨダレ出る程素晴らしい演奏でしたね。
 手で叩くことも、スティックを使うこともあるけれど、
手の時は、私は客席で身を乗り出してしまいます。

 その後正式に当時もう有名だった山北紀彦さん達と一緒に
N’DANAを結成。
 
 N’DANAに入ってN’DANA演出の服装や演奏、トークに変わりましたが、
打楽器好きを釘付けにするタイコ演奏は相変わらず素晴らしいです。

 そしてN’DANA入ったらまたN’DANAの良さを吸収して少し変化した、
彼の素晴らしさをまた感じました。

 最近あまり体調の良くなさそうな時、彼がコンガを叩くのを観ました。
 演奏が下手だった訳でないのですが、不思議とミュージシャンとしてでなく、
個人としての彼の素顔のようなものが少し出てた気がしました。
  見えたのは、彼がひたすらコンガを叩いている姿。
 
 「学ぶべきことは、このコンガの中に全部あったんだなぁ」と
教えられた気がしました。
 楽器の演奏のことだけでなく、他のいろいろなことも。
 誰でももし、そういう気持ちがあればそうだし、
人によってはタイコでなくて、別のものを通してであっても。


山北紀彦さん

 モスバーガの奨学金でアフリカ留学した話は有名。
 まだ一人で演奏されていた頃からHappy soundで
全国にファン多し。

 愛嬌一杯・温ったか面白いボーカルと胸のすくタイコは、
どこでも引っ張りダコの人気です。

 山北さんという人は普段は見た目は
「旧制高校の高下駄の、穏やかな優しい先輩」風の雰囲気であります。
 
 そしてライブでは一転して「全部捨てて、キテル感じ」(最高)でした。
 
 そしてMASATOさんが来てからもずっとタイコ一筋。
元々十分上手い方でしたが、
なおまだコツコツじりじり腕を上げてきていることもスゴイと思う。
 
 独特の大地の土を感じさせるボーカルの良さと存在感、太鼓、、
作詩作曲の良さ、お人柄にファン多し。
 器も大きく、地味な顔立ちですがなぜか人目を引く存在感のある人です。


 ただ、二人とも元気な時とそうでもない時の楽差が
ちょっと微妙にあるかなぁ。(誰でもそうですが)

 ◆12月中旬、ここで久しぶりにまた聴けました。
別のミュージシャンがメインのコンサートツアーのメンバーとして彼らが。
 今回はメインでないので抑えた演奏、でも変わらぬN’DANAのサウンドであり
それでいてまた一段と腕をあげ、表情にもゆとりと魅力がまた+++でありました。
 2人ともバックに回っても、立派だったですね。
 音量・旋律といい表情といい、メインの人を引き立てながらでもひたむきに一つの音楽を
つくっていけるゆとりを感じる大人の演奏でした。

 MASATOさんは今回はドラムスティックが中心の演奏。
いつもは手の演奏の方ばかりに気がいった私でしたが、
今回は彼がスティックを使う場合の演奏のすごさをみせてもらいましたね。

 彼は多分前よりずっと上手くなったのかもしれない。
 例えが妙ですがスティックを使う時「腕の立つ人が刀で切りつけるとき」に似た「気」、
でもそれが決して「ものや人を切る」殺気にならず、
タイコと一体になる音の波動に変換される感じ。清廉な迫力。
 
 音楽のことはよく分らないですが、
彼はもしかしてスティックでむだな場所を叩かなくなった、
本当に必要な部分だけを狂いなく叩き始めたのかもしれないとさえ思った。
(タイコにむだな場所があるなどと考えたこともないのですが、今回の演奏でそう感じたのです)
 そして手の時と同じに、
テンポが遅れる訳でないのに演奏中一瞬スティックが空中で静止したように見えることが
何度もあります。
 
 山北さんの音楽はMASATOさんとまた微妙に違う良さ素晴らしさですよね。
情感豊かでおおらかな楽しい波動。今回その演奏はますます熟達、音楽にも表情にも
彼本来のつやが出た感じ。
個性一杯の山北サウンド、そのボーカルやタイコは周りの人間をまたハッピーにしてくれました。

 「人間がハッピーであるのに理屈はいらない」ことを、
彼は自分の音楽活動を通して全国に伝道して回っている気さえしますね。
 「山北さんは人間だし、日本男子だし、タイコばかり」。誰にはばかることもなし。
 シンプルな日々の中で更に増してきた表現力・人間味の引力にまた引き寄せられマシタ。
 
 MASATOさんと山北さんの演奏が一つになると、
絶好調の時は客席は金しばり状態。最高に2人の演奏はテンポもぴったり。

 このテンポという点でいうと、音のリズムをカウントする以前の呼吸の、
さらに前段階みたいな所にある演奏する人の動きを開始するための脳の信号、
「ON」と「OFF」(二進表のコンピューターのしくみ、みたいな例えでスミマセン)
が2人はもしかしてちょっと違うのかもしれません。
 だからそれぞれの良さがある。
 
参照 
   山北紀彦HP



 
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